2007-12-31

大晦日を迎えて

年末を家族で過ごすという
当たり前のことを
つづけて行けることが
幸せであるという思いは
大切にしたいものである。

健康な時には、自分の身体
の有り難さを思うことが
できないように、
いつもの家族に有り難さを
改めて思うことは
簡単でないかもしれない。

それでも、盆と正月くらいは
ゆっくりと家族と過ごして、
かみしめてみるのがよい。

そういう思いができるのは
この時節であり、
離れて過ごす家族が多いからこそ
必要なのである。

今更ながらそう思う。

2007-12-28

るつぼこそ

隣の研究室と合同での
忘年会だった。

留学生会館には、業務用厨房が
据え付けられてあり、
予約さえすれば、拝借できる
仕組みになっている。

中国の留学生が大勢参加していて、
僕の好きな水餃子やら回鍋肉やら
色々な中華料理がテーブルを
彩った。

僕は、合流するのが遅かったので、
調理でごった返した厨房を
少しずつ掃除しながら、
作業スペースを作ったり、
食器や調理器具を洗って、
整理していった。

ここのところ忘年会が重なって
しまっているので、
昨晩だけは酒をほとんど口にせず、
美味しい中華料理をしっかりと
頂いた。

大学院の頃、はじめの2年間は、
日本人と留学生が一緒にすまう
寮での生活を送った。

フロア40戸に1カ所のキッチンがあり、
朝晩はそこで自炊することができた。
毎晩、調理をしては仲間と分け合って
食べていた。

その寮には色々な国からの留学生が
滞在していた。覚えている範囲では、
中国、韓国、ブルガリア、ドイツ、
ガーナ、ナイジェリア、ブラジル
そういう空間が日常だった。

思えば多彩な色・味の料理を
食べることができた。

今はみんな世界中に散らばって
いってしまっている。
西村は、シアトルに行っても、
ベーコントマトスパゲティを
未だに変わらず作っているらしい。

僕は、ごちゃごちゃと雑多な空気
の中に姿を没することが好きだ。

自分が一体何人なのか分からなくなる
感覚が面白い。

何人だって構わないではないか。
ひとつの個性がある
徒党は組まず、たむろしない。
それで十分だ。

2007-12-25

濁りが深くても

クリスマスを楽しむという
気分を持てることは幸せである。
そもそも・・・とその背景や意味を
掘り返さなくても、
ただそこにある空気に浸ればよい。

久しぶりの軽い運動のために、
近所の長い河川敷を歩いたり走ったり、
2時間ほど過ごした。

川縁に寄っても、濁りが深くて、
川底を見透かすことはとても
できない。

遠目に眺める水面は、
今朝からの北風で、細かな波が立ち、
陽の光を反射してキラキラと
輝いている。

そんな自然の現象をきり捨てずに、
何かを感じられる気持ちを
大切にしたいものである。

2007-12-24

自転車を駆る

自転車を駆る
原油高が影響しているわけではないが、
なるべく近い距離は、徒歩の延長で、
移動しようと思う。

自転車をこいでいると普段は
目に入らない風景が見えてくる。

すれ違わない人とすれ違う。
横を抜けていく自動車の圧迫感、
歩道と車道との段差の存在、
角から不意に顔を出す車、
緩やかな坂を下る時に風の気持ちいいこと
徒歩でもなく自動車でもない
別の見え方である。

虫や小動物の目から世界を見渡すような、
視点の転換
とまではいわないが
いつもは当たり前になってしまっている
自動車の世界から抜け出して、
違うモノの見方を得ることが嬉しい。

小中学生の頃は、自転車があれば、
どこまででも行ける気がした。
帰り道が楽しいからという理由で、
山の頂上にある友達の家まで、
自転車を押してでも上がって行った。

夏休みの自由研究で、村内を
地図を頼りにしながら、
シダ植物を集めて回ったときにも
僕は自転車に乗っていた。

数キロ圏内であれば、移動時間は、
車とさほど違いはない。
何ごとも基本は自分の足で。
そう思えば、多少の原油高に、
一喜一憂することもあるまい。

2007-12-23

「感」の字

いろいろな思いを
重ねられる字
なのです。

2007-12-21

この不思議

ああそういうことだったのか
という気づきの瞬間が訪れる。
それまで、考えて試し続けて
やっと上手く行ったときに
立ち上がる感情がある。

まぐれやただの気のせいでは
ないかと何度か確認してみる。
間違いがないとわかれば、
もう以前の自分には戻れない。
七転八倒していた自分の
状況を再現しようとしてみても
それはもう叶わないのである。

自転車の乗り方を覚えてしまえば、
もうふらふらとへたり込むような
へたくそな乗り方はできなく
なってしまう。この不思議。

むろん、次のステージにも、
ひとかたならぬ試練が待っている。
それでも、また次の気づきに
向けて手足を動かしてしまうんだな。
出来なかったことができるようになる。
それ以上の喜びがあろうか。

2007-12-20

知的統合性へむけて

久しぶりに居残りで仕事を詰めていた。
気がつくと26時を過ぎてしまった。
本当は、今年最後のバスケに行こうと
思っていたのに、あ”ー。
もう1月ほど参加できていない。
たまには体もフル回転させておかないと。

ISEPの飯田さんや山下さんとお話する
機会があった。
日本には、課題を解決するための、
知的なコミュニティの形成が必要だ。

環境問題に注目が集まってから
改めて問われたアカデミズムの課題とは、
要素還元主義、専門分化の効用と限界。
総合化の難しさ、方法論の未発達。

総合化のミソは、「門外漢」なのかも
しれない。僕の尊敬する数学者の森毅さんは、
知的に遊ぶ楽しさをエッセイで説いていた
と思う。彼が紹介した湯川秀樹さんの
例でもそうだ。他の分野の研究に顔を出して、
分からないながらも質問したり、意見を
言ってみたりしながら関わっていくこと。

その心意気でまずは己の小さい殻を破ることが、
synthsizationの第一歩なのかもしれない。

小人、閑居して不善を成す
とならぬよう。広い世界との応答性を
保ちつつ。

2007-12-17

時を感じて

師走が深まるほどに、
時間が圧縮されていくような感覚がある。
ヴェバー=フェヒナーの法則は、
こんなところにも働いている。

3次元から4次元へと、世界の見方が
変容していくことが大人になるという
ことなのではないか。

だからこそ、節目を大切にして、
時間を視覚化することに意味が出る。

生物個体としての自分の中に流れる
主観的な時間の他に、他者との関係で
生じる時間とがある。また、それを
超越したビッグバン以来の時間の流れ。

いろいろなスケールの時間があることを
知りながら、一人称の生を走り抜ける
感覚を持つのが面白い。

2007-12-12

ええ仕事してる

幼なじみのよっちゃんが経営する
柳澤果樹園から、プレミアム柿
がやってきた。

木箱に丁寧に詰められた8つの柿は
ぱりっとした歯ごたえと甘みの
同居する贅沢品である。



よっちゃんのところの富有柿は、
袋かけという方法で栽培されている。
これによって、夏の暑すぎる直射日光と
病害虫、さらには冬の霜からも柿を
守ることができるそうだ。

それでも、広大な柿畑で、ひとつひとつ
に袋を付けていく作業は、想像する
だけで気が遠くなりそうな苦労の要る仕事
に違いない。

手間暇掛けて作った最高の柿を
感謝して頂くことにする。(合掌)
よっちゃん、僕もいい仕事ができるように
頑張るよ! ありがとう。

柳澤果樹園の富有柿に関心のある方には
ご紹介します。お問い合わせを。

2007-12-10

たとえ選択肢が少なくとも

町のカルチャースクールで、
古いガラス瓶の欠片を使った
リース作りが続く。

9日は、3回目の講座で、
作品はほぼ仕上げの段階に入った。
町役場のショーケースで、
目下、鋭意乾燥中である。

まだ写真に納めていないので、
再来週にはお披露目したいところ
である。

完成に近づくに連れて、同じような
材料を選んで作るリースでも、
全然ちがう個性が発揮されていく。
同じ袋から選び出すガラスの欠片も
その目と好みとで、異なる傾向の
ものが手元に残ることになる。

ある程度、主催者の方々に準備して
頂いた範囲でものを選んでも、
選び方ひとつで全然違うものが
生まれてくる。
もちろん、そこには自分の目を皿の様に
しながら、他でもなくこれを選び出す
という真剣さが前提となる。

僕たちは、毎日を制約の中で生きている。
範囲の限られた選択肢にあきあきして、
不平不満をこぼしがちである。

でも、その限られた選択肢から
何を選び、どのように組み合わせること
によって、描き出す世界は自分のものになる。

どんなところにも学びの種は転がっている。
町の小さな集まりも然りなのだ。

2007-12-07

大阪でのスナップ

取材のため2日間は大阪に滞在した。
大阪市役所と大阪府庁に環境建築を
担当する方々を訪ねていく。

僕の出身地は奈良であるからか、
お里の近い方々と話しをしているだけで
なんだかとてもウキウキとしてしまう
ものでありました。

いつも、どなたも懇切丁寧にこちらの
取材に応じて下さる。本当に有り難い
ことだ。
現場を預かる方々と直に話していく経験
そのものが、僕の血となり肉となるのである。

一日目の大阪市役所での取材を終えると
夕方の5時半を過ぎていた。
さすがに、関西では日の暮れるのが早い。
問い面の日本銀行大阪支店のライトアップは
とてもいい雰囲気を醸していた。

こういう風合いを現代の建築にももう一度
取り入れることはできないものか。
コンクリート打ちっ放しを越えた
遊びのあるデザインを望んで止まない。



宿泊先から外を眺めると道路が
なんと四層に重なっている。
空間を限界まで使い切ることを
必要とする日本第二の都市を
象徴する光景だった。



木曜日の夕方は、谷町四丁目の
人通りの少ない一角にみつけた
北インド料理の見せで、
チキンカレーとナンを食す。
Maharaja Beerを付けるとここは
十分にデリーの気分であった。

2007-12-05

走る走る

澄み渡った大気に陽光が映える。
四季を通じて冬の時節ほど、
陽の光が大地になじむように
降り注ぐことはないのではないか。

大学という場所で仕事をしていると
どうしても部屋で過ごすことが
多くなる。たまに調査にいって、
娑婆の空気を吸うと色々なことに
気づかされる。

「選択と集中」が現代の企業経営の
キーワードである。
何かを捨てることで、特定のことに
勢力を集中し、成果を上げる。
何かを得るには、何かを諦めるという
意思決定が必要だ。

しかし、何かを諦めるという決心を
付けるのは容易ではない。
また、この複雑で不確実性の時代に、
この総合的な視点とモノの考え方が必要な時代に、
はたしてどれを諦めて良いのかどうか。
判断は、極めて難しい。

ならば、くたくたになるまで、
一日を高い密度とテンションで走り切る。
そういう生き方を選ぶということに
なるのではないか。

2007-12-04

師走でごわす

師走という時節は例外なく
なにかと立て込んでくるのだからしょうがない。
だからといって焦りは禁物であるぞ。

どれだけ早いテンポを刻むのであっても、
段取りはきっちり、頭はクールに。
血が登った時点でゲームオーバーになってしまう。

前に足を踏み出した分だけ、
未来が開けていくのである。

写真は、神戸・北野の入り口でみかけた珈琲店「にしむら」

2007-12-02

北九州美術館で

北九州美術館で
地域にゆかりの作家である
「三上浩」展・「加来保」展を見た。
その後、カフェ・ミュゼでお茶をする。
なんと美味しそうなレモン・フロマージュに
ショコラであろうか!?



借景もまた美術作品のひとつである。
色づいた木々に目を惹かれる。

マッチ一本火事の元

毎晩、消防の夜回りがつづく。
ご苦労さまの一言に尽きる。
お盆に訪れた高野山・金剛峯寺の
屋上には、先人からの知恵、
火消し樽が見える。


2007-12-01

神戸スナップ

一日ひたすら内勤をこなしたので、
神戸で取った写真をひとつ掲載する。
イメージの膨らむ写真を撮るのが好きだ。


MOSAICの蒼ツリーとポートタワー


"復光"の門


神戸の故郷の味・イカナゴの釘煮